(日記)写経している(プログラミングの話)

写経している.

写経の本来の意味はWikipediaによれば,

写経(しゃきょう)とは、仏教において経典を書写すること

であるけれど,自分は特別に仏教を信仰しているわけでもなく,精神の安定を効用とする写経をしているのでもなく,プログラミングの学習として写経をおこなっている.

プログラミングにおける写経とは,仏教におけるそれと同じく,プログラムを書き写すことをいう.(以下,写経とはプログラミングにおける写経のことをいう.)

現在Haskellを学習していて写経の効果をとても感じている.

主に命令形プログラミング言語を15年以上してきた自分にとって,Haskellという関数型プログラミング言語は非常に理解しづらい.

言語が理解しづらいものなのではなく,命令型言語のプログラミング脳になってしまっているからだ.
パラダイム・シフトが必要なのだ.

そういう状況に写経は非常に効果的だと感じている.

自分の場合,同じプログラムを一度,二度写経しただけではまだ不安である.モノにするには「書き写す」のではなく「自分の頭で考えて書く」ことができるようになるまでやる必要がある.

つまり何も見ずに書けるようにする.

ここで,暗記をする必要はない.自分の頭で考える必要があるので,むしろ暗記してはいけない.必要なパターン(プログラミングのやり方)は自然に身についてくる.

あと(初期を除いては)答え合わせも必要ない.結果が同じであればよい.そうすると自分の頭で考えた結果,元の実装方法と違う実装方法でプログラミングすることがある.それが面白いし,身に付いているなと実感するところである.